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KAMIYA ART is a leading contemporary and modern art gallery, representing one of the most important Japanese post-war artist Yuichi Inoue (YU-ICHI) 井上有一, Morihiro Hosokawa (細川護熙) and Shiro Tsujimura (辻村史朗).

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器と心 (3/4)

若き日の辻村史朗が残した手記。茶碗を作ることを志した若き日の辻村史朗が感じ、考えていたこと。45年以上の月日が流れた今も、同じようにモノづくりに向かう。

 

器と心 辻村史朗

Part3

炎による洗礼を受けて、窯から出てくる器は、偶然性を予期しつつも、なおかつ予期しえない部分......それは、人間が運命すらをも変え、あらゆる障害をのりこえたとしても、なおかつ関知しえない大河の運命の内で動いてゆく人間の生さまと共通したもののように おもえてならないのです。

ここまで書いてきて、重大なことに気がつきました。というのは、 かんじんの焼物屋にとって、もっとも重大な焼くということを、いまだに書いておらなかったということです。窯の種類にも、いろい ろとありますが、大別すると直焔式と倒婚式にわかれます。

 倒婚式というのは、炎が窯の中で回って出るようになっていて、 この場合は、窯内の温度が均一になりやすいので、安定した品物がとれます。現在では、焼き屋のほとんどが、この種の窯を使っているようです。

 一昨年の秋に私が作った窯は、直焔式の方で実に単純なものです。 板かまぼこを三十度ぐらいの傾斜地においたような型で、下から火 をたいて、上から煙をぬくものです。したがって炎の通らぬ部分(窯 の両端や、窯床近くなど)は、なまやけになったり、きわめてロス の多い窯ではありますが、なかなかおもいもかけぬおもしろいもの が二、三取れるのです。昔の須恵器などは、この種の窯で焼かれたものらしいのです。ほぼ五世紀ごろには、大陸から朝鮮を経て、穴窯あるいは半地上窯と言われる直焔式の最初の窯の造り方が日本にも伝わり、須恵器が焼かれたわけです。今までの縄文式土器、弥生式土器などにくらべ、はるかに固く焼きしまった器が、どんどん造りだされ、一部完全な姿で今もなお、私たちの身近に見ることができます。

辻村史朗氏自宅の食器棚に並ぶ器。長年使い込まれた様々な器たち

辻村史朗氏自宅の食器棚に並ぶ器。長年使い込まれた様々な器たち

 炎による洗礼を受けて、窯から出てくる器は、偶然性を予期しつつも、なおかつ予期しえない部分......それは、人間が運命すらをも変え、あらゆる障害をのりこえたとしても、なおかつ関知しえない大河の運命の内で動いてゆく人間の生さまと共通したもののように おもえてならないのです。

「いったいあなたは、どんな器を作ってみたいのですか?」「何を 目標に、作っているのですか?」と、よく問われるのですが、そう問われることに対して私は、相手がうなずいてわかっていただけるような答を、かえせたことがないのです。

 前にも書きましたように、土に関することや、窯たきに関することなどは、自分自身に似合った方法として好きなようにのべることも出来たのですが、さて何を求めて毎日土をこね灰をふるい、木を割っているのか、なぜ、どうして、私にとって、言葉や、文章で表現することは、茶碗を作るよりはるかにむずかしいことに思えるのです。

 焼物を作りつづけている人々の中にも、数えきれぬほど様々の想いがあることでしょう。人によっては、過去の陶工が残した名品の中で、特に自分の心ひかれた物に近づこうと努力している場合もあるでしょう。あるいは幼いころ話してもらったことがある陶工柿右衛門のように、自然の色調の美しさにひかれ、夕日にはえる柿の色を作りだそうと、一生をかけるということもあったのでしょう。無限の大気をおもわせる青磁に心ひかれる人、天目釉を目ざす人、心にひそむフォルムを土くれで表わそうとしている人々、陶芸の世界を見回すだけでも人間社会の縮図のようであり、それぞれが独自な歩調で進んでいるのです。

茶碗というより、人間と相対しているような状態、大母性大慈悲心と向い合っているようなこころもちになったとしか表現できません

 私は、一昨年東京にある日本民芸館(柳宗悦氏を中心にした民芸運動によって集められた、数々の民芸品を展示している館)にて、 多くの陳列品の中に、ひとつの大井戸茶碗を見い出した時、これだナというよな心にしみこむ大らかさ、何もかも善も悪もつつみこむ、でいて気負いのない姿、うれしくなって長いことみとれてしま いました。あれから二、三度、朝鮮の茶碗を手にとって見せていただける機会にめぐまれました。しかしいずれも高価なものに違いありませんが、民芸館の大井戸茶碗に感じたうれしさなど、一向にわかず、その場限りですーっとわすれてしまうようなものばかりでした。かといって、その私が心ひかれた大井戸茶碗とは、どんな形で、どんな色であったのかなど問われたところで何一つおぼえているわ けでもないのです。その茶碗には、箱書きもなく、名さえつけられてはおらず、単に大井戸とのみ書かれただけで、館の二階の一室に他の陳列品と共に、ガラスケースにおさまっていました。階下にも古布、家具、陶器の類がぎっしりと並んでいましたが、その大井戸を見つけたら、とんとそれ以外の陳列品のことなどわすれて、立ちどまってしまいました。

 今になって考えてみると、なんて気持の安らぐ茶碗だろうか、ともかく自分が大井戸を見た時に感じたことしか、おぼえていないです。それはむしろ、茶碗というより、人間と相対しているような状態、大母性大慈悲心と向い合っているようなこころもちになったとしか表現できませんが、器が器の形をはるかに越え、色調を越え、 ガラス戸越しにもなお対者である私を、つつみこんでくる。そのことにおどろきもし、忘れがたい印象をきざみこんで帰ってきたのです。