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Inoue Yuichi Retrospective, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa ©︎Yuichi Ihara

Inoue Yuichi Retrospective, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
©︎Yuichi Ihara

 

1916
2月14日東京・下谷二長町に古道具屋の息子として生まれる。御徒町尋常小学校、東京府立第一中学校、東京府青山師範学校へ進学。

1935
本所区横川尋常小学校の教員となる。画家を志し夜間処々の画塾、研究所を遍歴、勤務時間の余暇では充分に油彩は出来ぬと断念。

1941
上田桑鳩に8年間師事し、書に専念する。

1945
3月10日、米機大空襲により仮死。約七時間後蘇生。

1948
桑鳩を中心とした『書の美』(編集発行人・森田子龍)創刊以来同誌をよりどころに書の学習をつづける。

 

1949
桑鳩のもとを去り、森田子龍、江口草玄、中村木子、関谷義道と墨人会を結成、機関誌『墨人』を刊行、以来墨人公募展等に参加する。

1950    
亡父の百日忌に「自我偈」を書き自作の仏壇に貼る、これが上田桑鳩の眼にとまり創作の開眼となる。「第三回書道芸術院」展に初出品。出品作「自我偈」が大沢雅休らにも認められる。「第一回書の美」展出品。「第六回日展」に出品。6月、つてを求めて探していた宮沢賢治遺布本『国訳妙法蓮華経』を宮沢清六より贈られる。

1951    
「第四回書道芸術院」展に出品。「第二回書の美」展に出品。「第三回毎日書道展」に出品。このころ長谷川三郎を知り辻堂の住まいをしばしば訪ねる。宮沢賢治「雨ニモマケズ」を集中的に書く。大作「デクノボウ」を書く。

1952   
月、京都・竜安寺に同志五人(井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子、森田子龍)相会し墨人会結成。 機関誌『墨人』を発行、49号まで編集を担当する。

 
「書家が書を独占しているつもりでいること程、滑稽なことはない。書は万人の芸術である。日常使用している文字によって、誰でも芸術家たり得るに於て、書は芸術の中でも特に勝れたものである。それは丁度原始人における土器の様なものであるのだ。書程、生活の中に生かされ得る極めて簡素な、端的な、しかも深い芸術は、世界に類があるまい。」
— (井上有一 「書の解放」『墨美』9号、1952)

1953    
「第一回ゲンビ展」(大阪・現代美術懇話会)に出品。「第一回墨人公募展」(『墨人』第11号誌上展)出品。

1954    
ニューヨーク近代美術館における「日本書道展」に出品。

1955    
東京国立近代美術館における「日米抽象美術展」に出品。ヨーロッパ巡回「現代日本の書」展に出品(アムステルダム市立美術館、他5都市を巡回)。 (この頃文字を扱わずに草箒・エナメルで洋紙に書きまくる)

 

 
メチャクチャデタラメに書け。
ぐわあーっとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へエナメルでもブッかけてやれ。
せまい日本の中にウロウロしている
欺瞞とお体裁をフッとばせ。
お金でオレを縛りあげても
オレハオレノ仕事をするぞ。
ぐわあーっとブッタギッテヤル。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶だ。
創造という意識も絶する。
メチャクチャデタラメにやっつけろ。
— (海上雅臣『ミネルヴァ日本評伝選 井上有一』ミネルヴァ書房、2005)

 

1956    
2月、『週刊朝日』にグラビア特集「前衛書道」取材、美術界に注目されるが 借家がエナメルだらけとなり立退きを迫られて困却する。茅ヶ崎市菱沼海岸に蕪地を求め一年がかりで一人で整地し、ようやくバラックを建てる。

1957   
「第四回サンパウロ・ビエンナーレ」展出品。出品作「愚徹」はのちにハーバート・リード著『近代絵画史』に掲載。(Herbert Read: A Concice History of Modern Painting: Thames & Hudson 1958  日本版大岡信訳・紀伊国屋書店刊、1962)

1958    
ブリュッセル万国博記念「近代美術の50年」展出品。

1959    
カスパー・ケーニッヒの推挙によりカッセル第二回「ドクメンタ」展出品。 4月、母トメ没。(86歳)

1960    
作品「骨」国立近代美術館に収蔵。中南米巡回日本絵画展出品。フライブルクにおける日本の書展出品。

1961    
「第六回サンパウロ・ビエンナーレ」展出品。「現代絵画・彫刻ピッツバーグ国際展」に出品。出品作「仏」カーネギー・インスティテュートの買上げとなる。(カーネギー買上げ作品はのちに亀裂を生じ弁償を求められたため、新しい調合の墨を考案する)

1962    
ダルムシュタット現代日本の書「意味と記号」展出品。ケルンのツヴィルナー画廊で初めての個展。

1963    
アムステルダム市立美術館における「書法と形象」展に出品。バーデンバーデン国立美術館の同展出品。4月、茅ヶ崎市立松林中学校教諭。

1965    
ヴッペルタールのクンスト・ミュージアム・フェラインとケルンのツヴィルナー画廊で個展。

 
漢字発生当初の象形文字はきわめて魅力に富んでいる。しかし漢字を書くことの中で現代美術を創造しようとする私にとって、それはいくら魅力があっても死んだ文字に過ぎない。私が書く文字は日本の社会の中で長い間使い古され今も使われ、さらに私の手の脂がしみこんだものであるからこそ、全生命を投入して書的空間を表現することが可能なのだ。

ところが私がある一字を書いたとき、その文字の意味を聞かれることがよくある。その時私は字引にある説明程度のことを一応は答える。しかしそれはほんの入口に過ぎないのだ。私の手の脂がしみこんでいることまではとても説明できるものではない。漢字は単に意味と形と音を持つコミュニケーションの記号として片づけられるものではない。書が成立する秘密の大きな一因がそこにある。
— (『井上有一の書 ’49ー’77』海上雅臣編、UNAC TOKYO、1977)

1966    
米国における「第一回日本芸術祭」に出品。9月、神奈川県高座郡寒川町立寒川中学校教頭。

1969    
東京国立近代美術館新館落成記念「現代世界美術展」に出品。

1970    
「第四回日本現代書展」出品。埼玉会館の同展会場にて海上雅臣に注目さる。

1971    
「第五回日本現代書展」出品。『花の書帖』刊(海上雅臣編、西脇順三郎序詩、福田繁雄造本、求龍堂、限定350部)。壹番館画廊(東京・銀座)で「『花の書帖』刊行記念展」が開かれる(国内における初個展)。9月、寒川町立旭小学校々長。

 
書は空間であるということを実現することにのみ 
おれのいのちもやしきるべし 
— (『墨人』No.198)

1972    
壹番館画廊において個展。

1973    
4月、家の前マンション化すると知り土地を売り海老名市中河内の農家に仮寓する。東京国立近代美術館における「戦後美術の展開」展に出品。 「第七回日本現代書展」に出品。海上の書院、壬子硯堂(信濃追分)に「貧床」成る。

1975    
5月、神奈川県高座郡寒川町の新築の家に移る。狼屋敷と名づける。

1976    
西ドイツ巡回「20世紀日本の書」展に出品。8月31日をもって神奈川県高座郡寒川町立旭小学校を最後に、41年5ヵ月の教職生活を終える。

1977    
『井上有一の書'49-'77』刊。(海上雅臣編、早川良雄造本、UNAC TOKYO 限定551部)刊行記念展。5月、飯田画廊(東京・銀座)・11月、今橋画廊(大阪)にて個展。飯田画廊に勅使河原蒼風の訪問ありその夜対談する。

1979    
肝硬変の診断を受け2月初めから5月末まで東海大学病院に入院加療する。5月、墨人会会員辞退。シカゴにおける「JAPAN TODAY」展に「孤」「月」「瓜」3点出品。7月、「井上有一書展—壁新聞」展(東京・和光ホール)。カタログ『壁新聞』刊(海上雅臣編、UNAC TOKYO)。

1980    
作品「愚徹」国立国際美術館に収蔵。『ロバート・マザウェルと黒』(The William Benton Museum of Art)に『井上有一の書』テキスト一部引用される。京都朝日画廊で個展(会場で白井晟一、須田剋太、下村良之介らと語る。案内状に文を寄せた辻晋堂は作品「現前」を見て、これだけのものを書けるのは京都では大燈サンだけですな、と諧謔的に言い去る)。

1981    
小品集『俎』刊(海上雅臣編、加藤郁乎引、柴永文夫造本、UNAC TOKYO 限定500部)。

1982    
「井上有一展—1955年、そして今」展(東京・和光ホール)。作品集『鷹』刊(大岡昇平の短篇小説「鷹」と有一の「鷹」とを表裏折本仕立にし、有一「鷹」を刷りこんだピクチュア・レコードA面に「邂逅」作曲・一柳慧、B面に岸田今日子による小説朗読を入れたものを付けた。海上雅臣企画構成、杉浦康平造本、UNAC TOKYO 限定550部)。(10月ひそかに「遺偈」を揮毫する)

1983    
前年12月より2月にかけ顔氏家廟碑2809字を原寸に全臨し、第一稿第二稿をまとめる。過労により入院加療。8月26日、鉛筆で『花の書帖』への西脇順三郎序詩「花」を書き、コンテ書に進む。9月21日、宮沢賢治五十周忌に「雨ニモマケズ」を書く。

1984    
井上有一「言葉書」展(東京・ウナックサロン、大阪・番画廊)。4月15日、NHK教育テレビ「こころの時代—愚徹を書く」放映、(インタビュアー・糸井重里)。9月、『オートルモン』(パリ Le Seuil 社刊)特集号「東京」のため扉の題字書く。同誌に作品5頁と海上雅臣の井上有一論掲載。

1985    
4月、「未来のアダム」展(高橋睦郎企画、西武百貨店渋谷店)に新作「上」を出品。5月、宮沢賢治童話「なめとこ山の熊」全文木炭書にとりかかったが20日より食欲不振となり中途で打ち切り、6月4日入院。6月7日、劇症肝炎を発して昏睡に入り、暴風雨のなか15日絶息。(狼涙忌と名付け以後毎年6月第2土曜日午後3時より有一揮毫による「幽顕の塔」の前に集う。)18日、藤沢市妙善寺で葬儀告別。有一自身の揮毫になる同寺の「井上家の墓」に納骨。戒名・成就院愚徹日有居士。12月3日、絶筆「上」を掲げ沢井一恵の筝鎮魂コンサート。(海上雅臣企画、ヴェニス Hotel Gritti Palace)

 

 
書は線の表現であると言っても、文字を書くことの中で線が実現するところに、書の複雑微妙なところがある。線が文字として統合されるのではなくて、文字を書くことの中で線は自ずから実現する。(中略)『朝に道を聞かば夕に死すとも可なり』と言ったのは孔子だが、ぼくのような凡くらでも七十近くになると、一点でいいから王羲之、顔真卿、空海、大燈に匹敵する字を残したいと思うようになって、今日もまた今日もと仕事場に入るのである。しかし今日よりも明日、明日よりも明後日と向上する約束などはどこにもない。長生きすりゃ、そのうちいい字が書けるだろうというようなうまい具合にいくとは誰も保証しない。
— (井上有一『日々の絶筆 –井上有一全文集』海上雅臣編、芸術新聞社、1989)

1986    
1月−2月、「井上有一絶筆展」(六本木・NEWZ初のオマージュ企画、UNAC TOKYO共催)。(井上有一とその作品をめぐる公開シンポジウム(対談海上雅臣+中沢新一、司会・高橋睦郎、パネリスト・山口昌男、重田良一、糸井重里)『現代詩手帖6月号』特集「井上有一の世界」に全討論収載)。3月、代表作62点京都国立近代美術館に収蔵。6月、「井上有一絶筆展」(西宮市立西宮市民ギャラリー)。「井上有一小品展」(アトリエ西宮)。「生きている井上有一」展(シブヤ西武シードホール、実行委員・浅葉克己、糸井重里、井上嗣也、海上雅臣、緒形拳、木村勝、操上和美、小島信夫、高橋睦郎、中沢新一、仲畑貴志、細野晴臣、山口昌男 タイトル・糸井重里)。この委員会は展後「生きている有一の会」へ発展。カタログ『生きている井上有一』刊(生きている井上有一展実行委員会発行。海上雅臣監修、仲畑貴志・副田高行デザイン、UNAC TOKYO)。13日、公開シンポジウム「井上有一は何者だったのか」(渋谷・東京電力エネルギー館ホール、司会・糸井重里、パネリスト・海上雅臣、岸田今日子、工藤哲巳、小島信夫、中沢新一)。15日、有一一周忌にあわせて『井上有一絶筆行』刊(海上雅臣編、杉浦康平構成、谷村彰彦デザイン、UNAC TOKYO 限定669部)。9月、ビデオ『生きている井上有一』完成(高間賢治撮影構成、緒形拳語り、細野晴臣音楽、糸井重里タイトル、操上和美肖像写真、海上雅臣解説/監修制作、カラー20分、UNAC TOKYO)。

1987    
6月−7月、「花にかこまれた井上有一」展(パルコギャラリー、「生きている井上有一」実行委員会パルコ共催 タイトル・糸井重里)。作品集『尋花』刊(谷川俊太郎詩、UNAC TOKYO 監修、井上嗣也 & BEANSデザイン、(株)パルコ)。

1988    
8月、「戦争の刻印と鎮魂 戦後美術の原像」展に「噫横川国民学校」出品(主催、いわき市教育委員会/いわき市立美術館)。

1989    
2月−3月、「大きな井上有一」展(主催京都国立近代美術館/後援「生きている井上有一」の会 協力 UNAC TOKYO タイトル・糸井重里)。

 

1991    
「大きな井上有一」展が埼玉県立近代美術館、福岡県立美術館、新潟市美術館、山口県立美術館を巡回。

1992    
1月−2月、「書と絵画との熱き時代・1945−1969」(東京・O美術館)(「作品A」「作品No.9」「愚徹」「不思議」「捨」「骨」「母」を出品)。10月、『井上有一臨顔氏家廟碑』刊(上海・学林出版社)

1993    
3月−4月、「すばらしい貧」展(東京・麻布美術工芸館)。井上有一カタログ・レゾネ刊行会発足。

1994    
9月−95年1月、「Japanese Art after 1945, Scream against the Sky(1945年以降の日本美術 空に向かって叫ぶ)」(ニューヨーク・グッゲンハイム美術館ソーホー)(「無我」と「噫横川国民学校」を出品)。 12月、第十六回アゾロ国際美術映画祭(イタリア)でビデオ『大きな井上有一』イタリア語版『SCRIBO ERGO SUM - Yuichi LAVORI DI SCRITTURA』翻訳・エリザベス フローレ、ナレーション・パスカーレ アンセルモがグランプリ受賞。

1995    
1月−3月、「Yuichi 1916-1985」(スイス・クンストハレ バーゼル)。 2月、『井上有一東京大空襲』刊(岩波書店/敗戦前後を有一が書いた水墨画日記の復刻)。3月、井上有一「東京大空襲」展 (東京・すみだリバーサイドホール)。9月−10月、「『井上有一書法』刊行記念 井上有一展」(中国・天津人民美術出版社ギャラリー)。10月、「井上有一の花月鳥風」展(東京・麻布美術工芸館)。12月−96年2月、「Yuichi HIN Werke 1954 bis 1982(有一、貧)」(フランクフルト・シルン クンストハレ)、「Yuichi Die Bomberdierung Tokyos(有一、東京大空襲)」(フランクフルト・カルメリータ クロスター)、「Yuichi Wirtschaftswachstum(有一、経済成長)」(フランクフルト・工芸美術館)同時開催。

1996    
3月、ビデオ『BESESSEN VOM LEBEN YUICHI INOUE』(邦題「井上有一貧フランクフルト」)グレゴール ホイセン監督制作。日本語版朗読高橋睦郎。6月、カタログ・レゾネ『井上有一全書業 第三巻』(海上雅臣編)第一回配本刊行。

1997    
『井上有一全書業』をはじめとするブックデザインにより杉浦康平に第三十八回毎日芸術賞が贈られる。

1998    
9月、『井上有一全書業 第一巻』(海上雅臣編)第二回配本刊行。国際美術評論家連盟日本大会(AICA JAPAN CONGRESS 1998)記念展「すばらしい貧」(東京・すみだリバーサイドホール)。『貧 井上有一』刊(海上雅臣編)。

1999    
2月、長野県信濃美術館企画展「比田井天来と日本近代書道の歩み」展に井上有一の「骨」(東京国立近代美術館所蔵)、「噫横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)展示。天来の門流扱いを拒否し、東京地裁に仮処分申請。これに対し長野県は撤回による和解を希望、美術界初の著作権法第六十条没後作家人格権保護の事例となる。6月、芸術の殿堂書芸館で韓国初の日本書芸家招待回顧展「井上有一—書は万人の芸術だ」開催。11月−12月、群馬県立近代美術館現代美術棟で収蔵作品特別展示「井上有一の書」、「噫横川国民学校」及「東京大空襲」シリーズ30点展示。

 

2000    
1月−2月、茅ヶ崎市美術館「生きた書いた井上有一」展。4月−6月、「Yuichi-Ali(井上有一〈鳥〉)」(ローマ・チャンピーノ市立現代美術ギャラリー)。10月、『井上有一全書業 第二巻』(海上雅臣編)第三回配本刊行。11月、『井上有一全書業』全三巻完結を記念して、井上有一研究国際シンポジウム・懇話会(京都・東京)を開催。これにあわせて京都国立近代美術館、京都造形芸術大学ギャラリーRAKU、青山スパイラルガーデンに於いて「井上有一」展を開催。

2002    
2月−3月、岐阜県美術館「日本的なもの/書くこと描くこと」展。「愚徹」「捨」「母」「貧」「噫横川国民学校」出品。3月『井上有一全書業』刊行を行動的美術批評家の範として海上雅臣に日本芸術振興賞(日本文化芸術財団)。10月、NHK教育テレビ「新日曜美術館」特集「おれの命燃やしきるべし−書家井上有一64年の貧」放映、2003年1月15日再放送。             

2004  
1月−2月、群馬県立近代美術館「戦争と美術」展に収蔵品「東京大空襲」30点と「噫横川国民学校」を展示。6月−7月、「井上有一<貧>」展(札幌・門馬ギャラリー)。8月8日、新作能「生田川物語」作・大岡信、出演・観世榮夫、音楽・一柳慧 語り・桜井真樹子。8月−11月、「井上有一と下保昭の山山の山展」(長野・松本市美術館)。「山」21点、「風」4点を展示、「関山」1点館収蔵。

2005 
2月、『ミネルヴァ日本評伝選 井上有一』(海上雅臣著 ミネルヴァ書房)出版。10月、杭州国際書法芸術祭「井上有一展」開催。(中国・杭州美術学院)。11月、「井上有一 ギュンター・ユッカー二人展」(ドイツ・ランゲン財団美術館)。

2008 
3月、「井上有一鄭州展」(中国河南省鄭州市・十方芸術館)。7月、洞爺湖サミットにて展示。10月、「日日絶筆行−有一書法作品展」(北京・今日美術館)。

2009 
5月 、「戦後美術の3人展−棟方志功・八木一夫・井上有一」展(長野・梅野記念絵画館)。8月、「水墨書法第三种抽象」(グループ展)(上海・対比窓画廊)。10月、「井上有一芸術」展(中国杭州・三尚当代芸術館)。中国語版評伝『世界名画家全集井上有一 書法是万人的芸術』(河北教育出版社 李建華・楊晶訳)。

2010 
3月 、「井上有一東京大空襲・遺墨展」(東京・すみだリバーサイドホール)。6月、「 字覚−井上有一作品展」(中国・天津美術学院美術館)。11月、「Yuichi展 ―常識に非ざる一字書―」(徳島・徳島県立文学書道館)。

2011 
4月、「井上有一書展」(北京・皇城美術館)。10月、「井上有一書法展」(中国・広州美術学院美術館)。

2012 
中国語版評伝『井上有一書法是万人的芸術』(中国人民大学出版、香港三聯書店)。

2013 
3月、シャルジャ・ビエンナーレ(シャルジャ/アラブ首長国連邦)出品。

2014 
5月、「Inoue Yuichi」展(ニューヨーク・エリック トムセン ギャラリー)。12月、「湘南の墨跡展」(神奈川・茅ヶ崎市美術館)。

2015 
4月、「遠くて近い井上有一展」(東京・菊池寛実記念 智美術館)。5月、「没後30年井上有一展」(岡山・瀬戸内市立美術館)。9月、「生成!井上有一特別展」(中国・西安美術館)。

2016
1月、「生誕百年記念 井上有一」(石川・金沢21世紀美術館)。